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日本料理から見た日本人の美意識

摘 要     日本的传统料理精巧悦目,被称作“是用眼睛看的食物”。深受日本独特的风土及禅宗影响,日本的美意识逐渐形成。在漫长的历史进程中,日本人的美…

摘 要

    日本的传统料理精巧悦目,被称作“是用眼睛看的食物”。深受日本独特的风土及禅宗影响,日本的美意识逐渐形成。在漫长的历史进程中,日本人的美意识与料理相互影响而发展。日本人的自然观是其审美意识形成的重要原因。日本人尊重自然,并注重与自然的和谐发展,追求与自然融为一体,并力求将自然的美发挥的淋漓尽致。另外,日本认为发挥的食材本事的味道是最高境界。而且食材的选取具有很强的季节感。日本料理不仅是一种食物,更是一种艺术。从考究的菜品的摆放,精致的食器,幽雅的就餐环境,礼仪等等无不基于日本人独特的审美观念,并表现了日本人的美学意识。本文试图通过对日本料理的发展,食材的选取,装盘的艺术,以及日本料理的礼仪,深入分析日本人的美意识。

关键词:美意识;日本料理;自然观;礼仪  

  旨

日本の伝統料理は精巧で美しくて、「目で楽しむ食べ物」と称される。日本の風土と禅宗をもとにして、日本人の美意識がだんだんと形成された。それに、長い歴史の中で、日本人の美意識と料理は互いに発展してきた。日本人の自然観も日本の美意識の形成する重要な原因である。日本人の美意識はむしろ自然との調和を尊重して、できるだけ自然に溶け込もうとして、自然の持っている美しさを発揮させようとすることである。素材の持ち味を壊さないようにそのまま調味することは最高の境地であると考えられる原料の季節性を重んずる。。日本料理とはただ食べ物のみならず、芸術といえばもっともよいことだ。日本人のユニークな美意識を基づいて、精巧的な盛り付けとか、美しい食器とか、和やかな料理亭などは作られて、更に日本人の美意識あるいは美学特徴を表すと考えられる。本稿では日本料理の発展、素材の選択、盛り付けの芸術、日本料理の礼儀と言った方面の分析を通じて、日本人の美意識を分析してみたい。

キーワード:美意識;日本料理;自然観;礼儀

目 次

摘要. I

要旨. II

はじめに. 1

一、日本人の美意識. 2

(一)日本人の美意識の形成. 2

         1. 日本人の美意識の内容

         2. 日本人の自然観と美意識

         3. 宗教に深く影響された日本人の美意識

(二)日本料理―美学と調理学の組み合わせ. 3

二、日本料理の変遷から見た日本人美意識の発展. 4

(一)日本食文化の源と日本人の最も古いの美意識. 4

(二)中世料理の流派と美意識の展開. 4

1. 中世料理の各流派

         2. 料理の流派から見た美意識の多様化

(三)近世料理文化の新い発展. 5

1. 懐石料理と「侘び」「寂」美意識

         2. 西洋料理への受容

三、日本料理の素材から見た日本人の「旬」美意識. 6

(一)素材の持ち味を発揮する最高境地. 6

(二)素材の季節性. 7

四、日本料理の盛り付けから見た日本人の色彩意識. 7

(一)食器への態度. 7

(二)盛り付けの芸術. 8

五、日本料理の料亭から見た日本人の境地への追求. 8

(一)日本料亭の文化意味. 8

(二)料亭構造の境地. 9

六、日本料理の礼儀から見た日本人の「和」意識. 9

(一)「もてなし」の神髄. 10

(二)客の礼儀と感謝の心. 10

(三)料理——感情を伝える紐. 11

おわりに. 11

参考文献. 12

謝辞. 13

はじめに

社会生産力が高くなり、民衆生活が豊かになるとともに、飲食業は速やかな発展してきた。『食べる』はただ体力を補充するための段階から精神的な価値や美しさを求めている段階に乗っているから、飲食美学が形成されている。この世界には、どんな国でもその国が独特的な食文化をもっている。その中で日本料理は中華料理や西洋料理と違うの美しさが誇られ、芸術品であるとは過言ではない。料理に通して、美を創り、美の意識を伝え、美の深い意味を人の中に届けるというのは日本料理の旨である。日本料理の美しさは日本人の美意識と密接的な関係がある。。日本の風土と禅宗をもとにして、日本人の美意識がだんだんと形成された。それに、長い歴史の中で、日本人の美意識と料理は互いに発展してきた。長い時期を経て、日本料理は日本人の美意識に溶け込むんで、日本料理の美学特徴を考察して、日本人の美意識を論じなければならない。本稿では日本料理の発展、素材の選択、盛り付けの芸術、日本料理の礼儀と言った方面の分析を通じて、日本人の美意識を深く理解しようと努める。。

一、日本人の美意識

日本料理とともに、日本人の美意識は平安時代の「もののあわれ」から始まり、時代を経て「幽玄」になり、「侘び」に至ったということがある。それらの美意識は古くから存在しており、また料理や茶道、建築などを通して実践されてきた。日本料理から見るの美意識は新しい視点だから、前の伝統美意識と異なり、あるいはその側面である。

民族の共通の審美意識の形成はもともと存在ではなくて、長い歴史を経て、自然、政治、経済、社会また文化宗教の影響を受け、だんだん発展されてきた。それから、日本人の美意識を検討するために、その範囲すなわち内容と形成要因-自然観と宗教から考えなければならない。

1.日本人の美意識の内容

美意識というものは美に対する感覚や判断力、すなわち美しいと感じる心の働きてある。日本語で「美しい」という言葉が、今日の我々が使っているような意味を持つようになったのは、おおむね室町時代以降だという。上代(およそ奈良時代まで)においてはひらがなでの「うつくしい」という言葉が、親しい人への愛情や、小さいもの、可憐なものに対する愛情を表す言葉であり、やがて美的性質一般を意味するものに昇華していった。我々は自分の独特の美意識をもっているが、同一民族とか国家とかの人間は大体おなじ基礎的な美意識がある。いずれ民族の美意識でも、時代なりの特色を持っている。日本の美意識もそれぞれの特色があるものの、本質的な特点が歴史の長い流れを貫いている。これは自然への感謝の心である。

2.日本人の自然観と美意識

人間の思想や生活様式および審美意識は、それぞれ土地の自然、風土の影響を強く受ける。人間と自然との関係を通じて、それぞれの地域、民族に固有の文化が形成されていた。日本文化に固有なものは日本の自然の美しさ、豊富さ、清らかさから来ているのである。 日本人が生活している自然環境は彼らの美意識と飲食の形成をある程度で決まっている。

豊かで美しい自然は日本が世界に誇れるものである。日本は海に囲まれている狭い島国である。中緯度地帯に位置するため、全体的に見ると気温が温暖で、四季の移り変わりがはっきりしている。日本は比較的自然環境に恵まれている。豊富的な水産や綺麗な景色やなどに恵まれた自然の中で生活している日本人にとっては無上な幸せだと思われている。日本独自の自然は、伝統や豊かな精神文化を育んだ。文学、音楽、絵画、衣食住の全てが、四季ある自然の恩恵を受けている。しかし、一方、四季の季節変化をより複雑にしているのが梅雨と台風である。日本の精神風土に影響を与えている。このような自然環境のなかで、人々は非常に細かい感じと質素な感情を身につけた。こんな多く発生する自然災害は日本人の無常感、宿命感を生じるのではないか。咲く時とても美しいが、花期はとても短い桜は日本人に生命のシンボルの象徴を見られている。このせいで、日本人は自然に抵抗しようとせず、順応して自然とともに生きようとすることがあると考えられている。さらに、もっと自然の恵みを大切にした。日本人はすべての食材を自然からの恩恵にする自然への感謝の心をもって、料理のことをしている。

そのために、日本人の美意識はむしろ自然との調和を尊重して、できるだけ自然に溶け込もうとして、自然の持っている美しさを発揮させようとすることである。日本人は自然が好きである。自然と自分を一体化した。料理や茶道、庭園などにおいて、ありのままの飾らない自然を再現するのは最高の境地だ。日本人の伝統的美意識を考察する時、その自然ないしは人々の自然観を結びつけることを考えなければならない。日本人はその自然の中に美の存在を発見するのである。つまり、日本人の多くは、日本ならではの自然や景観、そこから派生した「和」の文化や生活様式に、いわば心の原点を見出していると考えられる。自然と密接な関係にある長い歴史のなかで、日本人の独特の美意識が形成させられていた。

3.宗教に深く影響された日本人の美意識

禅の意識は日本の伝統の美学の思想に対する浸透に従って、美意識は確立し、一層発展した。昔から、日本人は生命と『清浄』を密接に関連すると思って、しかも『清浄』が美しいものであると思っている。禅宗の本意は『清浄』と思って、『清浄』は『空無』である。これらの思想の上の似ていることこそ、日本人の美意識と禅宗の美学の融合のためにきっかけを提供して、禅を日本人の生活と芸術の中にしみ込ませたのである。禅の美の特徴は脱俗、自然、簡素、静寂、枯高、幽玄などがある。日本人の審美観に深い影響を与えた。日本人の美意識の底には常に自然との一体感と、仏教の諸行無常(しょぎょうむじょう)の考え方が流れている。しかし、時代の雰囲気によって、表現される美意識は異なる。

(二)日本料理―美学と調理学の組み合わせ

我々は成長、体の維持、活動などのために必要なエネルギーや栄養素を食べ物として取り入れている。食べ物を食べるということは、同時に生活に潤いをもたらし、楽しみを与えるという役割も持っている。調理学とは食品材料が食べ物になるときにどんな変化が起こっているかを研究し、どのように制御すれば私達が食べたときにおいしい食べ物となるかを研究するというものである。つまり調理学の重要なテーマは食べ物を「おいしい」させるということである。そうなると、食べ物はどんな状態でおいしいになるかをきちんと把握することも必要だ。

日本料理は、健康面の価値を持ち、おいしい調理法に止まらず、独自の美学を根幹に据え、調理から盛り付け、配膳やもてなしの空間まで美しく整えられた料理である。

二、日本料理の変遷から見た日本人美意識の発展

(一)日本食文化の源と日本人の最も古いの美意識

縄文時代には食物採集文化の段階にあったが、日本の土地の豊かさの恵みにあずかり、どんぐり類を主食として採集することを中心に、豊富な水産資源で蛋白質をおぎなうという食文化を形成している。縄文時代末期から弥生時代にかけて、水稲の栽培が日本に伝わり、それ以降今日に至るまで、米が日本人の主食として食生活に欠かせないものとなる。このように、米を主食にし、水産物や豆類などで蛋白質を補うというものは日本の食文化の基本になる。稲田は、日本の美しい文化と信仰の原点である。その中には日本人の最も古いの美意識「誠」がある。

诚は『广词苑』に「事実の通りであること。うそでないこと。真実。」「偽り飾らない情。人に対して欺かないこと。誠意。」と書かれている。「诚」日本人の最も古いの美意識である。しかしながら、系統的な理論体系が形成されなかった。時代の発展や進歩に従って、ほかの審美意識が形成してきた。しかし、「誠」の意味が消えていないだけでなく、新たな美的概念の形成に関与して、永続的な日本の精神文化になっていた。

(二)中世料理の流派と美意識の展開

1.中世料理の各流派

中世料理といえば、主に、平安時代から伝えられる四条流包丁道、精進料理、、本膳料、理懐石料理、、本膳料理といった料理流派があった。

四条流庖丁道は、平安時代から始まると伝えられる日本料理の流派である。。庖丁道とは料理に関する作法や調理法などを最も頻用する調理器具の包丁で象徴した呼び名である。四条流の起源は、藤原山蔭が、光孝天皇の勅命により庖丁式の新式を定めたことに由来すると伝えられている。これにより、山蔭は「日本料理中興の祖」とされる。後来、「四条園流」、「大草流」、「四条園部流」といった分流となっている。

鎌倉時代は武士の時代となって、公家と武家文化の融合がはかられていた。禅宗と共に喫茶の風習が広まった。禅宗の僧が食べていた精進料理が本格的に流入する。精進料理とは、仏教では僧は戒律五戒で殺生が禁じられており、大乗仏教で肉食も禁止されたため、僧への布施として野菜や豆類、穀類を工夫して調理した料理である。

室町時代に入ると、食礼式が発達した。この頃食作法がやかましく言われるようになり、1人分の料理を膳の上に組むいわゆる本膳料理が形成された。本膳料理は本格的な供応料理であり、室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した。現在では、冠婚葬祭などの儀礼的な料理としてわずかに残っているだけであるが、ほかの伝統的な日本料理の形式や作法上の基本になっている。実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。

一方、この儀礼的な料理に対して、茶道から生まれた懐石料理があった。懐石とは、本来茶の湯において茶会の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいい、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する。本膳料理との二つが日本料理の主流を占めるようになった。

2.料理の流派から見た美意識の多様化

民衆生活に密接に関わる日本料理は、ただ食べ物のみならず、文化的なものともいえ、更に日本人の美意識を表すと考えられる。中世料理には四条流包丁道、精進料理、、本膳料、理懐石料理、、本膳料理といった多くの料理流派があることは、ある程度上日本人の美意識の多様性を表すと思われる。

平安時代から始まると伝えられる四条流庖丁道は天皇の勅命により庖丁式の新式を定めたことである。日本料理業界のリーダーシップを握る大部分のものたちの金科玉条となっている。日本人が理論性を持ち、実践から理論を総括し、理論に基づいて実践するということに優れたのが見える。しかも、日本人が古代から伝統文化の保護を重視することが分かるだろう。精進料理のは、その後の日本料理の方向性を決めることになった。質素倹約の風習が強く、食事も実用的になっていった。本膳料理は儀礼的な料理の代表ともいえる。日本人は儀礼作法を重んじるということがみえる。この儀礼的な料理に対して、茶道から生まれた懐石料理は、茶道から禅道と密接して、料理というよりむしろ心の修行といっても過言ではない。また、懐石料理は日本人の伝統美意識論を表現している日本料理の代表である。懐石料理では、「侘び」や「寂」という日本の独自の美意識で貫いている。

(三)近世料理文化の新しい発展

1.懐石料理と「侘び」「寂」美意識

日本料理の最高級料理と見られて懐石料理は茶道から禅道と密接して、料理というよりむしろ心の修行といっても過言ではない。また、懐石料理は日本人の伝統美意識論を表現している日本料理の代表である。

千利休が茶の湯の道を確立すると、懐石料理も形を整えた。利休はわび茶の思想に基づいて、茶会を伝統的な酒宴から切り離し、付随する料理もきわめて簡素なものにした。わび茶の完成は、料理の内容に至るまで、わびという美意識で貫き、新しい料理のスタイルを創造した。

懐石とは、わびという美意識を利用して、それを表現しようとするメッセージ性を持って成立した料理である。その意味で、料理が利休の考えるとわび茶の枠を逸脱すると、利休は茶の湯そのものを拒絶した。従って、茶の湯の料理の要素としては、料理の味や姿ばかりでなく、もっと大切なのはわびのメッセージ性だといえる。

このように「侘び」「寂」は、まるで「美」と無関係の言葉のように思われるかもしれないが、そこに「美」は確かに存在する。粗末に見える茶碗、簡素な素材でほとんど飾りがない茶室(しかし実は入念に吟味された素材が用いられている)、そのようなものたちを「美しい」と感じが、この国独自の美意識である。日本の茶道具は「侘び」や「寂」の影響を実に強く受けている。茶道から影響をうけた懐石料理の器においても、「侘び」や「寂」を感じさせる風情が好まれる。懐石料理には、「旬の食材を使う」「素材の持ち味を活かす」「親切心や心配りをもって調理する」という三つの大原則があるので千利休の侘びの思想が色濃く反映している。

2.西洋料理への受容

日本近代化の契機となった明治維新はすでに天保の改革から準備され尊王攘夷から尊王倒幕へとすすんで、大規模な改革が成就を見た。そして日本近代は何より西洋文明を採り入れることから始まった。日本料理の伝統が幕末を持って中断した反面、明治期には肉食の「解禁」に続いて、西洋料理が滔々として流行するに至った。その時期から、 日本人もパンとサンドイッチなどをてべ始め、 コーヒーを飲み始めるようになっている。主食はご飯からパンに変化した。この時期は日本が外来の文化と技術を吸収する最も活発な時期であり、 それに自国の文化を形成し、さらに高速の発展の道に行く時期でもある。日本は外国の料理を受容する時、完全に吸収する場合があり、自身の習慣によって改善してから吸収場合もある。たとえば、日本には、ステーキとパンなどの本場の西洋料理があり、てんぷらとカレーという日本人の飲食習慣によって改善した料理もある。西洋料理の受容からみると、日本人の受容は二面性がある。日本人は外来文化の神髄を吸収すると同時に、外来文化を巧みに改善して「日本化」にする。一方、理性的に外来文化を自国の文化に入れて「西洋化」にする。外来文化のを吸収する同時に自国の伝統文化を守るり、 外来文化と自国の伝統文化を共存にする。これは日本人の受容の二面性の文化背景であると考えられる。こんな受容性をもっているこそ、優れた外来文化を吸収して自分の文化財産にしており、他国を取り入れ、自国の短所を補うい、日本独自の先進文化が形成することができる。日本は西洋文化の受容に対して、ひたすらまねることではなく、全面的に受け入れることもではなく、理性的に自分の国情によって外来文化を吸収するということである。

こんな理性的な受容のおかげで、日本文化は自身の特色を保っていると同時に、国際的な視野ももっていることができる。

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作者: 中国论文网

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