研究題目:
タイによるパタニ王国の合併に関する研究
研究動機:その研究しようと思ったきっかけ・経緯は何ですか
近年、IS国がテロ組織として世界中の批判を浴びています。中国の新彊ウィグル自治区において、ウィグル族人によって起こされたテロが頻発しています。そのため、イスラーム教というと、邪悪と暴力のイメージがなかなか払拭しがたいと感じます。
私は、文化が切断できるものではなく、現実の問題が起こった原因も歴史にあると信じていますので、もともと歴史に興味をもっております。アジアの宗教と民族に関する様々な本を読んでいるうちに、タイに暮らしているマレー・ムスリムの歴史に関心を引き起こされました。マレー・ムスリムは、宗教信仰のみならず、仏教を信仰した大多数のタイ人と人種と言葉も異っています。マレー半島には、もともとマレー人王朝があったが、タイによって合併されたが、タイ、イギリス、フランス、パタニ王国といういくつかの力の作用の結果としては、今のように、同じマレー系ですが、タイとマレーシアとの2つの国に分けていることとなりました。
これまで、いくつか歴史の本と学術論文を読みましたが、パタニ王国がタイによって合併され、またタイと英領マレーに分離された過程に関しては、いまだに満足できた先行研究が見つかっていません。そのため、大学院に進学し、この課題を取り上げて歴史学的研究を試みることとしました。
研究目的:その研究で何を明らかにしたいですか
1.パタニ王国の歴史、特にそのイスラーム化の歴史を明らかにしたいです。深い研究を行なって、オリジナルな研究成果を出すことは困難ですが、最低限に先行研究のサーベイをつうじて、イスラーム教の東南アジアにおける伝来ルートを明らかにして、イスラーム教の基本を理解する必要があると思っております。その上で、パタニ王国のイスラーム化の過程とイスラーム圏におけるパタニ王国の地位を分析してみたいです。
2.19世紀半ばから、東南アジアの植民地時代におけるタイのイギリスとフランスとの関係明らかにしたいです。たとえば、1855年にタイとイギリスは『通商修好条約』、1909年に『バンコク条約』を締結しました。これらの条約は、タイにとっては重要であるのみならず、『バンコク条約』は直接にパタニの帰属を決めたものです。
3.1782年ラタナコーシン王朝(バンコク王朝)から、タイとパタニ王国との関係を明らかにしたいです。タイとパタニ王国との関係は、主に以下の4つの期間に分けて検討する予定です。
① 1785年以前の「朝貢」関係
② 1785-1838年 戦争が頻発していた期間における征服―抵抗の関係
③ 1851-1868年 モンクット王の時代にタイの近代化が始まり、イギリスや、フランスとの列強との関係が重視され、いくつの条約が締結されました。
④ 1868-1910年 チュラーロンコーン王の時代に「チャクリー改革」が実施されていた時期であり、イギリス、フランスの影響力も大きいでした。
4.本研究の重点は、タイがパタニ王国を合併した過程において、タイ、イギリス、フランス、パタニ王国のそれぞれの地位と役割を明らかにすることです。
研究意義:その研究はどのような点で重要ですか
タイが武力を用いてパタニ王国を占領し、また様々な政治的政策によって、パタニ地域を中央集権体制の下に置きました。ところが、1909年の『バンコク条約』によってタイはその一部をイギリスに余儀なく割譲されました。その過程において、タイ、イギリス、フランス、マレー系ムスリムがそれぞれ、自分がどのような局面に直面しているか、どのような目標を実現するために、どのような行動をとるのが最適であるか、といった判断を下しました。本研究では、この過程における各側の力の競合を分析する点が重要です。
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