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在日中国人ニューカマーと教育―非集住地域に着目して―

目次 序章 ……………………………………………………………………………………………………………… 1 第1節 ニューカマーの概況と問題の所在………………………………………………………

目次
序章 ……………………………………………………………………………………………………………… 1
第1節 ニューカマーの概況と問題の所在…………………………………………………….. 1
第1項 ニューカマーの登場と日本側の受け入れ施策 …………………………………. 1
第2項 問題の所在 …………………………………………………………………………………. 4
第2節 ニューカマーの教育をめぐる研究動向 ……………………………………………… 6
第3節 課題設定 ……………………………………………………………………………………… 10
第1項 主体としてのニューカマー …………………………………………………………. 10
第2項 育ちの過程への着目: 「ルーツ」と「ルート」 ……………………………. 11
第4節 調査概要 ……………………………………………………………………………………… 13
第1項 調査地 ……………………………………………………………………………………… 13
第2項 調査方法と調査対象者 ……………………………………………………………….. 14
第3項 各章の構成 ……………………………………………………………………………….. 16
第1章 在日中国人の歴史 ……………………………………………………………………………. 18
第1節 オールドカマーの歴史 ………………………………………………………………….. 18
第1項 在日中国人の歴史的背景 ……………………………………………………………. 18
第2項 横浜における中国人の歴史 …………………………………………………………. 20
第3項 神戸における中国人の歴史 …………………………………………………………. 22
第4項 長崎における中国人の歴史 …………………………………………………………. 23
第2節 ニューカマーの出現 ……………………………………………………………………… 25
第1項 中国人ニューカマーの概要 …………………………………………………………. 25
第2項 在日中国人留学生の増加 ……………………………………………………………. 28
第3項 中国帰国者の出現 ……………………………………………………………………… 30
第3節 小括 ……………………………………………………………………………………………. 32
第2章 母親たちの「創造的教育戦略」 …………………………………………………………. 34
第1節 課題設定 ……………………………………………………………………………………… 34
第2節 在日ニューカマーの教育戦略に関する先行研究 ……………………………….. 36
第3節 母親たちの教育観と学校外教育 ……………………………………………………… 38
第4節 雪梅の教育戦略 ……………………………………………………………………………. 40
第1項 生い立ちと来日経緯 ………………………………………………………………….. 40
ii
第2項 日本の学校に対する意味づけ: 「無責任な場所」 …………………………. 42
第3項 「学校との積極的交渉」から「声かけ戦略」へ ……………………………. 43
第5節 小芳の教育戦略 ……………………………………………………………………………. 45
第1項 生い立ちと来日経緯 ………………………………………………………………….. 45
第2項 成長が可視化する場所と日本の学校の戦略的利用 …………………………. 47
第6節 雅文の教育戦略 ……………………………………………………………………………. 49
第1項 生い立ちと来日経緯 ………………………………………………………………….. 49
第2項 日本の学校への意味づけ: 「遊び場」としての学校 ……………………… 51
第3項 子どもの「一時的喪失」体験から「家族団らん」へ ……………………… 51
第7節 瑞麗の教育戦略 ……………………………………………………………………………. 54
第1項 生い立ちと来日経緯 ………………………………………………………………….. 54
第2項 日本の学校に対する意味づけ: 閉塞感がない場所、同胞と出会えた場所
……………………………………………………………………………………………………………. 56
第3項 同胞から学ぶ教育戦略と日本式教育・中国式教育の併用 ……………….. 58
第8節 紫微の教育戦略 ……………………………………………………………………………. 60
第1項 生い立ちと来日経緯 ………………………………………………………………….. 60
第2項 日本の学校に対する意味づけ: 「痛み」と「喪失」を生む場所 ……… 62
第3項 「弱い中国人」から「強い中国人」へ、「悪い中国」からの隔離 ……. 64
第9節 小括 ……………………………………………………………………………………………. 66
第3章 細分化されるホーム意識―中国との関係性の不在に着目して― ……………… 69
第1節 課題設定 ……………………………………………………………………………………… 69
第2節 先行研究 ……………………………………………………………………………………… 70
第3節 中国との関係性の不在 ………………………………………………………………….. 73
第4節 自ら切り離すホームとしての中国…………………………………………………… 75
第5節 切り離されるホームとしての中国…………………………………………………… 77
第6節 細分化するホーム: 「帰属を感じるホーム」「将来を望めるホーム」 …. 80
第7節 小括 ……………………………………………………………………………………………. 84
第4章 私の成長物語 ………………………………………………………………………………….. 86
第1節 課題設定 ……………………………………………………………………………………… 86
第2節 方法: オートエスノグラフィーの意義 …………………………………………….. 87
第3節 第1の物語: 出生から来日まで ……………………………………………………… 90
第1項 中国の小学校で過ごした2年間 ………………………………………………….. 90
iii
第2項 身近だった日本 …………………………………………………………………………. 91
第4節 第2の物語: 来日から小学校卒業まで ……………………………………………. 93
第1項 「リュウホウ」の誕生と友達の喪失 ……………………………………………. 93
第2項 恩師との出会い …………………………………………………………………………. 95
第3項 会館での日々 ……………………………………………………………………………. 97
第4項 いじめの経験と2度目の友人喪失 ……………………………………………….. 99
第5項 両親の苦労と私 ……………………………………………………………………….. 101
第5節 第3の物語: 中学入学から高校卒業まで ……………………………………….. 102
第1項 中学生活の始まり ……………………………………………………………………. 102
第2項 自信に満ち溢れた時代 ……………………………………………………………… 103
第3項 家族との別れ、そして出会い ……………………………………………………. 105
第4項 進路と2枚の卒業証書 ……………………………………………………………… 106
第5項 高校入学と学力低下、そして大学受験 ……………………………………….. 109
第6節 第4の物語: 大学入学から現在 ……………………………………………………. 112
第1項 大学入学とルーツの再確認 ……………………………………………………….. 112
第2項 自分との対話と大学院進学 ……………………………………………………….. 114
第7節 小括 ………………………………………………………………………………………….. 116
結論 ………………………………………………………………………………………………………….. 119
参考文献 ……………………………………………………………………………………………………. 123
参考URL …………………………………………………………………………………………………….. 131
謝辞 ………………………………………………………………………………………………………….. 132
1
序章
第1節 ニューカマーの概況と問題の所在
科学技術の発達によりグローバル化が進んでいる。グローバル化にともない、ヒ
ト・モノ・カネの移動もますます活発になっている。国連の発表によると、2015 年現
在、世界の人口は約73 億人であり、そのうち祖国を離れて暮らす人は約2.44 億人で
ある(国連人口基金 2015; UN News service 2016)。これは世界の総人口の約3%に
あたる。このように、国際移動をする人は決して多いとは言えない。しかし、国によ
っては大規模な移民を抱えている。移民は当該社会の変質を促進する存在となる。そ
のため、移民をめぐっては現在でも多くの議論がなされている。
こうした状況のなか、日本社会の多文化化も着実に進行している。日本に居住する
外国人は2015 年末の時点で223 万人強である(法務省 2015)。その中心を担ってい
るのが1970 年代以降に来日した人々である。かれらは戦前に来日したオールドカマ
ー1(在日韓国・朝鮮人や在日中国人など)と対比され、ニューカマーと呼ばれる。本
稿で関心を寄せるのは、こうしたニューカマーと呼ばれる人々である。本節では、ま
ずニューカマーの登場背景と受け入れ施策の変遷に着目して概観した後、問題提起を
する。
第1項 ニューカマーの登場と日本側の受け入れ施策
駒井によると、1990 年代までのニューカマー2をめぐる状況は大きく3つの時期に
分けられる。すなわち、「出発期」「拡大期」「停滞期」である。第1期の「出発期」は
1970 年代末から1980 年代前半である。この時期に来日したニューカマーは大きく4
つの形態に分類できる。第1の形態は、風俗・サービス業に従事するアジア諸国から
の女性労働者である。最初にやってきたのがフィリピン女性であった。その後フィリ
ピン女性に続いてタイ、韓国、台湾からもそうした女性たちが来日した。第2の形態
は、ベトナムやラオス、カンボジアからのインドシナ難民である。インドシナ難民の
流入は、1970 年代後半に求められた国際的対応に端を発し、10,000 人ほどが来日し
た。第3の形態は中国帰国者の2世や3世である。中国東北地方に残った日本人が配
偶者や子、孫たちとともに来日したのがこれにあたる。第4の形態は欧米系ビジネス
マンである(駒井 1999, 28-29)。
第2期の「拡大期」は1980 年代後半のことであり、ニューカマーが飛躍的に増加
した時期である。この時期に来日したニューカマーの特徴は、好景気での労働力不足
2
に起因する低賃金労働者と自己実現を求める人々である。「拡大期」におけるニューカ
マーの第1形態は、資格外就労者や超過滞在者などの非正規外国人労働者である。こ
の形態はアジア全体からの男性で構成されており、就学生や研修生がかれらの主な資
格であった3。第2の形態としては就労目的で来日した南米からの日系人が指摘できる。
これは1990 年に入管法が改正されたために、日系人の子孫や配偶者の入国と滞在が
自由化された結果に起因する。第3の形態は、自己実現型のニューカマーで、日本へ
の留学生が主である。これは1983 年に打ち出された留学生10 万人計画によるもので
ある(駒井 1999, 29-30)。
「停滞期」である第3期は1991 年以降を指す。この時期は日本のバブル経済が崩
壊した時期である。その結果、不足していた労働力が労働力過剰に変わった。その結
果、非正規労働者は微減した。一方で、南米からの日系人は増え続け、国際結婚や日
本企業の海外進出にともなう外国人雇用も増加した(駒井 1999, 31)。
ここまで、ニューカマーの出現と増加した背景を述べた。では、この時代のニュー
カマー受け入れの施策はどのようなものだったのであろうか。高畑によれば、1990
年代までの外国人住民施策は、「権利の獲得」から「多様性を生かす」時代だととらえ
られる。1970 年代は、在日コリアンの定住化と社会運動の時代であった。当時、外国
人にとって制度的な差別がまだ多かったため、在日コリアン2世が中心となって、差
別撤廃運動が展開された。これが「人権型」施策である。1980 年代、1990 年代にな
ると「地域の国際化」が課題となる。ニューカマーの定住が進んだのである。そのた
め、全国各地の自治体に国際交流会館が作られた。そして、自治体は「在日外国人対
応型」「国際交流推進型」を軸に、国際交流事業を進めることになったのである(高畑
2015, 144-145)4。
次に2000 年代に目を向けてみよう。図序―1、25は1979 年から2015 年現在ま
での在日外国人人口の推移、及び2015 年現在における外国人数の上位5ヶ国を示し
ている。
3
これらの図からは、2000 年代に入ってからも引き続き外国人人口が増え続けた点と、
その中心を中国6、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジル、ベトナムが占めている点がう
かがえる。一方で、2008 年を境に2012 年まで外国人人口が減少に転じている。その
背景には、2008 年に起きたリーマンショックと2011 年に起きた東日本大震災がある。
0
500,000
1,000,000
1,500,000
2,000,000
2,500,000
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
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2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
出所:総務省及び法務省をもとに作成
図序-1 外国人登録者数及び在留外国人数の推移
単位:人
リーマンショック
東日本大震災
0
200,000
400,000
600,000
800,000
1,000,000
1,200,000
1,400,000
1,600,000
1,800,000
2,000,000
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
2003
2004
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2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
出所:総務省及び法務省をもとに作成
図序-2 外国人数上位5か国の推移
中国 韓国・朝鮮 フィリピン ブラジル ベトナム
単位:人
入管法改正
4
まず、アメリカを震源地としたリーマンショックは、日本の製造業にも深刻な不況を
もたらした。ほとんどが派遣会社を通した就業形態にあった日系ブラジル人は、その
不安定な立場ゆえ、真っ先に解雇の対象となった。そのため、多くのブラジル人がブ
ラジルへの帰国を決意したのである。また、ペルー人に関しても同様の傾向があった。
次に2011 年に起きた東日本大震災によって多くの外国人が帰国したことも、2008 年
から始まった外国人減少の一因となっている。その後、2013 年からは、また増加傾向
にあり、2015 年現在では約223 万人の外国人が日本に在住している。
2000 年代以降のニューカマーをめぐる日本側の動きで着目すべきなのは、「外国人
集住都市会議」が組織された点である。外国人集住都市は、外国人が多く居住する複
数の都市や地域が協力して、外国人をめぐるさまざまな問題解決を図るために組織さ
れた。
高畑によると、このような2000 年代以降の動きは「多文化共生の時代」(2006 年)
と「日系人の時代」(2011 年)だととらえられる。「多文化共生の時代」であるが、こ
れは「労働から帰国」という外国人に対する従来の認識から「生活者としての外国人」
へと認識が変わったことを指す。換言するならば、外国人を日本社会の一員としてと
らえるようになったのである。一方、「日系人の時代」は、先述のリーマンショックを
受けて、日系人に対するさまざまな支援が講じられた時代である。ブラジルやペルー
に戻らなかった日系人は日本に定住する意志が固いとみられ、多くの施策が打ち出さ
れた。すなわち、200 万人という在日外国人全体が対象だったこれまで視点と違い、
リーマンショック以降の外国人施策はほとんど日系人に限定されたのである(高畑
2015, 145)7。
第2項 問題の所在
前項では、ニューカマーをめぐる時代の変遷をみてきた。1970 年代に始まったニュ
ーカマーの流入から30 年以上が経過した。かれらの中には、日本で生活するにつれ
て当初予定していた帰国が延期されたり、帰化や定住をするようになった者も数多く
いる。そんなかれらにとって子どもの教育は大きな関心事である。子どもをどこで育
てるのか、あるいはどう育てるのかなどといった点が常にかれらを悩ませるのである。
また、ニューカマー自身だけでなく、未曾有の外国人増加にホスト国である日本もニ
ューカマーの教育に目を向けざるをえなくなる。なかでも、まず声を挙げたのは学校
を始めとする教育現場であった。ピアスをつけるのが普通の子どもや日本語が全く話
せない子どもたちに学校側は瞬く間に混乱に陥ったのである。
5
このような状況で、ニューカマーの子どもに対する学術界の関心も高くなり、社会
学、文化人類学、教育学などさまざまな分野で研究が蓄積され、多くの成果を挙げて
いる。一方で、見逃してはならない点がある。すなわち、ニューカマーの教育に関す
る研究は、外国人が集住している地域で行われており、非集住地域に焦点があてられ
ることはほとんどなかったという点である。外国人集住地域は行政の関心が高く、外
国人に対する政策が多くある。エスニック・スクール(以下、ES)やインターナショ
ナル・スクール(以下、IS)など活用できる資源も豊富であり、日本の学校と対比し
ながら学校を選択できる。また、同胞が多い地域に住む者は、大学進学や就職で成功
している者を子どものモデルに据えることも可能である。さらに、エスニック・コミ
ュニティが発達している地域では、同胞の強いネットワークが子どもの教育達成に繋
がる(Bankston and Zhou 1996)。
では、上述した恩恵を受けられない環境に居住するニューカマーはどうであろうか。
親世代に関して言えば、かれらは少ない資源の中で自身が望むような教育を展開でき
ているのであろうか。日本の公教育しか選択できない環境で、不本意ながらも子ども
を日本の学校に通わせているのであろうか。あるいは選択肢が限定された環境でもそ
の環境に積極的な意味を見出しているのであろうか。ブルーマーは、ものごとの意味
が「自分の出会ったものごとに対処するなかで、その個人が用いる解釈の過程によっ
てあつかわれたり、修正」され、「個人がその仲間と一緒に参加する社会的相互作用か
ら導き出され、発生」すると述べている(ブルーマー 1969=1991, 2)。であるならば、
非集住地域で出会う「ものごと」に対しても、個人によって扱われ方が異なるはずで
ある。

………………………………………………………

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作者: 中国论文网

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