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中国と日本の神話について

 中国と日本の神話について –「創世神話」を中心に はじめに 中日両国は神話に対する研究がヨーロッパより非常に遅くて、研究がまだそんなに深くない。特に、中日神話の比較研究…

 中国と日本の神話について
–「創世神話」を中心に

はじめに

中日両国は神話に対する研究がヨーロッパより非常に遅くて、研究がまだそんなに深くない。特に、中日神話の比較研究がもっと早いことであり、それに両国の間もそれについての交流も少ない。神話というものは文字通り、神様の物語である。もちろん、架空である。原始人民は自然の中で起こったことにはなんとなく理解できなくて、それは神様の指示で生じたと思った。だから、原始人民の生活習慣や原始信仰、自然に対する態度などが神話に現すことができる。さらに、両国間の同じ文化基礎とか発見できる。
本文は比較法によって、両国の創世神話(特に中国の盤古、女娲と伏羲、日本のイザナミ神とイザナキ神の創世神話)を比較して、両国神話の共通所と違う所を発見する。
それは中日に対して、十分の意味があると思っている。
本 論

1中国と日本の「創世神話」

1.1中国の創世神話
中国に創世神が主に三人あり,盤古、女娲と伏羲である。盤古が天地を創り出した物語は中国で子供であろうと、大人であろうと、皆が知っている。盤古は天地を造るために、自分を犠牲したから、皆の印象でとても偉大なイメージである。
女娲という独身神は、神話で人間の頭と蛇の体からなっている。神話によると、人間は女娲に造られた。その物語りも皆が知っている。
伏羲は父系社会に入ったら、創りだした神様である。彼は女娲と一緒に世界を創造した。
1.1.1盤古
盤古は天地を造るだけでなく、人間も動物も植物も造った。民間で伝わる盤古についての神話は文献の記載よりもっと詳しく上にとてもおもしろい。盤古は英雄な人物とされた。盤古のおかげで、人間は生き生きとしている自然に生活できる。
盤古は卵の中で生まれて、卵と一緒に成長した。一日中、3.3メートルぐらい高くなった。高くなるにつれて、盤古は自分の体で天と地を分けた。天と地の距離が4500万メートルぐらいで、盤古の高さも4500万メートルあった。盤古は自分の体で天と地を支えているから、とても疲れた。とうとうに、苦労のせいで死んでしまった。盤古が死んだ後、彼の体および各器官がさまざまなものになった[1]。一世紀の徐整「五運暦年記」によると、「首生盤古,垂死化身。気成風雲、声為、左眼為日、右眼為月、四肢五体為四極五岳、血液為江河、筋脈為地理、髪髭為星辰、皮毛為草木、歯骨為珠石、汗流為雨泽。身之諸虫、因風所感、化為黎氓」(訳文:この世界で一番初めに生まれたのは「盤古」である。そして、彼が死んだ後、その身体が万物となった。気、つまり彼の息は風と雲に変わり、声は雷となり、左の眼は太陽に、右の眼は月となった。そうして,手足は、東南西北の頂点に添えられ、胴体は泰山、衡山、崋山、嵩山、恒山の五つの山に変わり、さらに彼の血液は川となり、筋は道に、肉は田畑に、毛は星星に、皮は草や木に、歯は宝石に、汗は雨に変わった。それから、盤古の身体についていた小さな虫は、風に吹かれて人間に変わった[2]。)
1.1.2女娲
ある民間神話によれば、女娲は宇宙王のお嬢さんである。罪を犯すので、人間まで派遣された。荒涼としている自然を見ると、非常に悲しい感じがした。彼女は川辺に沿って歩いて、水面に逆さに映っている自分の顔を見ながら、川の泥で泥人を作った。それで、人間が生まれた。だから、人間の体から泥をなうことができる[3]。
女娲も非常に偉大な神様である。彼女は創世しただけでなく、世界を救った。彼女は五色石を製錬して、天の穴を繕った。それで、人間は正常な自然の中で生活できる。それに、女娲は巨大な亀の足を切り落として、それによって天と地を支えていた。だから、天と地はずっと平穏である。人間は安心して作業できる。
中国でほかの創世神話もあった。少数民族に属する怒族にある神話によると、宇宙万物は巨人が殺した巨大な獣によって変えられた。巨獣の血液は土地になり、骨は石になり、血筋は金、銀,銅、鉄など金属になり、毛は森林になった。そうしたら、二つ眼しか残さない、一つはまだ腐らないで太陽になり、もうひとつはもう腐ったから月にしかならない。だから、太陽の光が強くて、月の光が弱い[4]。
1.1.3 伏羲と女娲の創世神話
女娲は母系社会で独身神であるが、父系社会になると伏羲の妹さんになっただけでなく、奥さんまでもなった。七世紀の漢族文献「独異志」によると、「遠い昔の、まだ宇宙ができたばかりのころ、世界には伏羲と女娲という兄弟だけしかなくて、その2人は崑崙山のふもとに生活していた。その当時の世界には、二人以外には誰もいないので、二人は相談して夫婦となりたいが、恥ずかしいと感じた。すると、二人は崑崙山へ行って、『天は私たちが夫婦にならさせたくたら、煙があわせる。そうじゃなくたら、煙があわせられない』と言った。思いがけないことが起こって、煙があわせた。だから、二人は夫婦となった。」それで、二人は一緒に生活して、どんどん人間を生んだ。女娲は伏羲を助けて、天下を管理した。
別の神話によると、二人は崑崙山で夫婦になるじゃない。中国の苗族の古文献によると、「天は大雨を降らし、人は誰もいなくなってしまって、ただ伏羲と女娲の兄弟二人だけになってしまった。そこで、伏羲は女娲と夫婦となることが欲しいが、女娲は兄弟であるため夫婦になるのを望まない。しかし、伏羲の求めを断ることもできずに困った。そこで、一案をこうじて、伏羲にこう言った。『もし、あなたが私に追いつくことができたら、夫婦になりましょう。』そういい終わると、女娲は大きな木の廻りを走り出し、伏羲はそれを追いかける。しかし、伏羲はどうしても女娲に追いつくことができない。そこで伏羲も妙な考えを出して、廻っていて方向を逆に走り、女娲を前から捕らえた。女娲は伏羲の胸に抱かれる。こうして二人は夫婦として子を産み、子孫を作っていった。」[5]

1.2 日本の創世神話
日本の独身で世界を作る神の中で、まず言うべきなのは世界を創造した五名「別天神」である。第1位は天之御中主神(あめのみなかぬし)という、天地が初めてなる時に高天原で現れた神である。古代日本人は、大衆の神の住む所は高いと思っていて、彼らの自分で居住する世界は”葦原中国と称する”,神の居住する所を”高天原と称する”と思った。第二位、第三位は高御産巣日神(たかみむすひ)と神産巣日神(かむみむすひ)と呼んだ。第四位、第五位は美葦芽彦知神と天常立神と呼んだ。この五つの神は全部独身で、それに形が見えない神である。
他に、天地を創造したのは七代神様がある。それぞれ第一代は「国常立神」、第二代は「豊雲野神」、第三代は「宇比地迩神」と「须比智迩神」、第四代は「角神」と「活神」、第五代は「意富闘能地神」と「太闘乃辨神」、第六代は「于母陀流神」と「阿夜诃志古泥神」、第七代は「伊耶那岐神」と「伊耶那美神」である[6]。
「日本の本紀」と「古事記」の記録によると、世界はもとは混沌とした卵と同じように、天地の分けることがなかった。それから天地は形成して、天地の中で1葦牙を産んで、そして天御中主神などの3名の産すること賢い神を化生しだした。これらの神はまた素晴らしい神を生んで、大衆の神の中に伊耶那岐神と伊耶那美神がある。伊耶那岐神と伊耶那美神は天御中主神の命令に従って、二人は天の沼矛を手に持ち、高天原と下界をつなぐ「天の浮橋」の上から、どろどろとした海原を見下ろした。そして天の沼矛を降ろしてゆっくりとかき回した。長い矛が抜き出した時、矛の鋒が垂らすもの泥と塩に沿って垂らして固まって形成した1島、名前は”おのころ嶋”といわれて、これは日本の国土である。二人はさっそく出来たばかりの『おのころ嶋』に降りていき、まず最初に「天の御柱」を立てた。天の御柱とは、神霊が昇り降りするために立てたとても太くて高い柱で、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をしている。つぎに『八尋殿』という広い宮殿を建てた。こうして新居もできあがりひと息ついたところで、伊耶那岐神は、自分自身の下半身が何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下がっているのが気になった。「おまえの体はどんなふうになっているのか?」といざなみにお尋ねた。
伊耶那美神は、しげしげと体を眺めて答えた。「わたしの体はほとんど完成しているのですが、一か所だけ、ぺこん、とくぼんだ『なりなりて成り合わない』ところがあります。」
「わたしの体にも一か所だけ、ぽこん、と飛び出た『なりなりて成り余れる』ところがある。そこでどうだろう、お前のくぼんだところに、わたしのとびでたところを差し入れて、国を産もうと思うが、いかに?」と言った。
「はい。そうしましょう」と伊耶那美神は、股を広げて答えられた。「では、新しい魂を宇宙からいただくために、天の御柱の周りを廻ろう」
そして、伊耶那岐神は左から、伊耶那美神は右から回り、二人が出発ところにあったら伊耶那美神が先に、「あなにやし、えをとこを(ああ、なんとええおとこ!)」と言った。
あとから伊耶那岐神が、「あなにやし、えをとめを(ああ、なんとええおとめ!)」と見つめ合った。
「男=左旋回、女=右旋回」は失敗で、不具の子供(水蛭子、泡嶋)が生まれてしまったので、「男=右旋回、女=左旋回」に変えると成功し、まず8つの島が完成する。淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡島、本州(=大倭豊秋津嶋)。その他海洋の神、山神、川神、木神、草神、日の神、月の神などを産んで、日本に整って、充実させ始めさせる。最後伊耶那美神は火神をうむためで死んでしまった。伊耶那岐神は怒って火神を斬首した。それでまた地の神、水の神、五穀の神など生まれた[7]。
伊耶那美神が死んだ後、伊耶那岐神は地獄へ後を追って伊耶那美神を救いたかった。真っ暗な中で再会した2人だったが、妻の体にウジがわき、8人の雷神が生まれているのをみて、夫はおそろしくなって逃亡をくわだてた。はずかしい姿をみられた妻は、黄泉国の鬼女や雷神や大勢の軍隊にあとをおわせた。伊耶那岐神は、髪飾りをなげて野ブドウを生やしたり、櫛(くし)の歯を折ってタケノコを生やしたり、桃の実をなげたりして、追っ手の気をそらしていった。そして黄泉国とこの世をむすぶ岩場の道、黄泉比良坂(よもつひらさか)を大岩でふさいでしまう[8]。大岩を境に妻が「あなたの国の人間を一日に1000人殺す」とおどかすと、夫は「私は一日に1500人の人間をつくろう」とこたえた。
黄泉国から生還をはたした伊耶那岐神は、身をきよめるための禊をした。すると、そのときすてた杖(つえ)や衣服からも次々と神々が生まれた。そして最後に左目をあらうとアマテラスオオミカミ、右目をあらうとツクヨミノミコト、鼻をあらうとスサノオノミコトが生まれてきた[9]。

2 中日両国創世神話の比較
創世神話は天地、宇宙に対しての原始観念を反映したが、このような神話はまた明らかにそれぞれ民族の歴史や文化条件の制約を受けた。異なった民族、異なった国家の作った創世神話もそれぞれの特色がある。それは各民族の原始段階で自然界に対する認識の程度を反映して、また各民族の固有の民族性を見抜くことができる。中国と日本は東アジアにつきあって、一衣帯水の隣国で、人種、風習、習慣、言語、文字の上に不思議な似ていることがあるが、決して雷同するとは言えなく、“類似”の裏面で“奇妙”が隠れている。
日本神話は西暦紀元八世紀に始めて出現したが、その起源は绳纹文化時期に遡及できる。多くの学者は日本神話の言語系統及び組織形式が中国とインドの影響をすごく受け取れると思っている。これは、中国の儒教とインドの仏教が日本につたえていったこととは関係があるからである。それに、支配階級が中国の儒教思想及びインドの仏教を選んで日本の神話に融合したのは政治利益を最終の目的にするつもりである。西暦紀元五世紀以後、仏教は日本に伝えられてから、仏教を信仰する大臣と伝統な神道を守る大臣は各自の信仰を見せかけにして権利を争った。日本神話の中で最初の神様は自然を代表するものである。こんな神様は抽象的で、無性別な独身神様である。第二代神様も自然を代表するものであるが、具体的である。たとえば、泥沼などがそうである。その上に大部分は性別がある。世界創造の描写は、日本神話の説明はわりに独特である。ほかの国家神話の中で、世界は一般的に男性に創造されたのに、日本神話中に、世界は男性の神様伊耶那歧神と女性の神様伊耶那美神に創造された[10]。
中国の神話と言う概念は日本からつたえてきた。しかし、神話の素材は古代の書籍に散々記載された。たとえば、「尚書」、「周易」、「左伝」,「楚辞」、「山海経」などの古典的な書籍の中に分散される。中国古代における文献の形成された年代端、それぞれたいへん異なっている。「尚書」や「周易」の形成から、「独異志」などの形成に至るまで、その間約1,700年の時間が経っている[11]。
原始文化は世界神話の出現との関係が複雑で、生産活動と生産道具の変化によって、古代の人間の信仰も変わった。だんだん自然崇拝から原始宗教まで発展してきた。だから、神話から社会の発展史を発見することができる。

2.1 共通なところ
上述のように、中日両国の創世神話に類似なところが多い。
2.1.1性交がない

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作者: 中国论文网

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