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日本語の省略表現について

要  旨   本論の題目が「日本語の省略表現について」といって、日本語の省略表現を通して日本人について考えてみると、日本人の感性の鋭さ、また感情の豊かさがわかる。日本語の…

要  旨

  本論の題目が「日本語の省略表現について」といって、日本語の省略表現を通して日本人について考えてみると、日本人の感性の鋭さ、また感情の豊かさがわかる。日本語の簡略からみる、以心伝心の曖昧さは日本人の独特のものである。

省略を極める日本語表現は日本の歴史的背景、日本人の国民性により、長い年月をかけて、言葉に頼らない独特な意志伝達の手法を確立させてきる。日本語の簡略表現を中国語に訳すのはおそらく難しいと思われるが、日本語の特性を理解したら、このような日本語の表現を中国語に訳すのはそれほど難しくないと思う。

 

キーワード

 

簡略・省略・節約・曖昧・独特

 

 

 

 

内容提要

本文以《关于日语的省略表现》为题,通过日语省略表现来体现日本人敏锐的感性和丰富的感情。从日语的简略表现来看暧昧语是日本人独特的以心传心的技巧。

极为省略的日语表现有着很深的历史背景,通过经年累月的积累,形成了一种不依赖于语言的意志表达方式,这与日本的国民性也是相适应的。日语中的简略表现翻译成汉语是很麻烦的,只要理解了日本语的特性,像暧昧语这样的表现形式从日语翻译成汉语也就不是很难了。

关键词

 

简略  省略  节约  暧昧  独特

 

 

 

 

 

目  次

 

はじめに――――――――――――――――――――――――――――――1

第一章・日本語の省略表現 ―――――――――――――――――――――2

1.1習慣性の省略――――――――――――――――――――――――――――2

1.2特殊な場所の省略――――――――――――――――――――――――――3

1.3俳句の節約精神―――――――――――――――――――――――――――4

第二章文法から見る簡略の日本語―――――――――――――――――5

2.1主語や修飾語の省略―――――――――――――――――――――――――6

2.2主語が不明―――――――――――――――――――――――――――――6

2.3補語の省略―――――――――――――――――――――――――――――7

2.4受ける語句―――――――――――――――――――――――――――――8

第三章日本人の習慣から見る簡略の日本語――――――――――――9

3.1日本人の寡默好み――――――――――――――――――――――――――10

3.2論理的におかしい表現――――――――――――――――――――――――11

終わりに―――――――――――――――――――――――――――――――12

参考文献―――――――――――――――――――――――――――――――13

謝辞―――――――――――――――――――――――――――――――――13

 

 

日本語の省略表現について

 

はじめに

 

省略表現の多用が日本語の特徴である。主語などの単語もよく省略し、文脈や背景についてみんなが共通する認識をもっていることを前堤としている表現方法である。日本語から中国語に翻訳する場合に問題になるのは大きく別けて三つあると思われる。すなわち、日本語の省略表現の曖昧さ、日本語独特な表現、単数・複数の不明瞭性がある。本論の題目が「日本語の省略表現について」という、日本語の曖昧さを通して日本人について考えてみると、日本人の感性の鋭さ、また感情の豊かさに気が付く。

日本語では必須成分の省略が多く、それが日本語学習者の読解・作文の両面において難題となっている場合が少なくない。日本語でも省略は起きる。前後関係から分かることはよく省略される。

省略を極める日本語表現は日本の歴史的背景、日本人の国民性により、長い年月をかけて、言葉に頼らない独特な意志伝達の手法を確立させてきる。むやみに言葉を使わず、ギリギリまで切り詰めて表現したり、心地よい真綿にくるんだようなおぼろげな表現をすることで、その言外のメッセージを読み手や受け手に推察させるという手法は、情報の発信・受け手がともに同じ精神を共有する単一民族だからできることだと言ぅ。言い換えれば、日本語の言語表現は、言葉を発する側だけでなく、受ける側も同じく積極的に参加することが求められた両方の交流である。

 

第一章.日本語の省略表現

1.1習慣性の

山下秀雄の『日本のことばとこころ』におもしろい話が出ている。アメリカ人の学生に日本語を教える教室へ出て、この前の授業でちょっと触れた敬語の話をしようとする。

復習の意味で、あなたがには敬語というものを知っていますか、と尋ねとする。彼らは何と答えるか。

先生はそれを先週私たちに教えましたから、私たちはそれを知っています

という答えがかえってくるそうだ。

これは文法の面から言うと、間違いはなにもない。題目語と述語はちゃんと整っているし、助詞の使い方も完全だ。しかし「先週教えましたから」は日本人なら決して言わない言い方である。そう言ったらそのあとに「お蔭で私たちは迷惑しました」とでも続きそうだ。また「知っています」と言うと、いばっているような印象を与え、「だから教わらなくてもいい」と言っている感じになりかねない。では、日本人だったらどう言うか。

先週、教わりました

これでいいのだ。あるいはもっと丁寧に言うならば、「先週、教えていただきました」。これが日本式だ。しかし、このような言い方が日本語では標準的な言い方だ、ということを教えることは、きわめて難しいそうだ。

 

1.2特殊な場所の

日本人は、初対面の人へのあいさつで「はじめてお目にかかります」と言って、それでおしまいにする。外国の人は、それはあたり前じゃないか、それでほんとうにあいさつになるかと言う。たしかに、その次に、「どうぞよろしく」というのがなければあいさつになりそうもない。しかし、日本人の間では、次にはそう言うものだということが、了承されている。つまり言外に含まれているのだ。

選挙があると、候補者たちはトラックに乗って「○山○夫です」「○山○夫です」と自分の名を連呼してまわっている。あれも外国の人は不思議がるが、「どうぞよろしく」が言外に含まれているつもりなのだろう。

「私は夜一人で音楽堂へいってみた。そこには誰もいなかった」――日本人はこれでちっとも不完全な文とは思わない。ところが、中国語ではこれでは不十分だそうだ。「私以外には誰も」と言わなければ論理的ではない、間違って聞こえる、とは、さても理屈っぽいことだ。

本屋に行く。山下秀雄の『日本のことばとこころ』はないか、と尋ねられて、本がない場合に店員はどう言うか。「ございませんでした」と言うことが多い。「ございません」で十分なはずであるが、「ございませんでした」と「でした」をつける。理屈を言う人は、現在のことを言っているのだから「ございません」と言えばいいのではないか、なぜ「でした」をつけるか、と言うが、これはやはり、言外に言葉が省かれているのだ。つまり「私どもとしては、当然、その本を用意しておくべきでしたけれども、不注意で用意しておりませんでした」という意味で「ございませんでした」と言うのである。

 

1.3俳句節約精神

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作者: 中国论文网

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