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芭蕉の俳句から見る日本人の美意識

要旨:日本古典文学において、俳句はもっとも民族特異性のある文学体裁で、情趣も尽きない、短歌とともに日本の短詩型文学の二潮流である。松尾芭蕉は江戸前期の俳人で、俳諧に高い文芸性を賦与…

要旨日本古典文学において、俳句はもっとも民族特異性のある文学体裁で、情趣も尽きない、短歌とともに日本の短詩型文学の二潮流である。松尾芭蕉は江戸前期の俳人で、俳諧に高い文芸性を賦与し,「ものの哀れ」と「幽玄」の日本固有の美意識の上に、「さび」、「わび」という蕉風を創始した。それでは、芭蕉の俳句における日本人の美意識はいったい何だろうか、この美意識は日本人の生活にどう繋がっているか。私はこの論文で、蕉風俳諧の理念「物の哀れ」とか、「幽玄」とか、「わびさび」などから、日本人の伝統的な美意識を検討していきたいと思うのである。

キーワード:芭蕉、俳句、美意識、物の哀れ、さびわび

 

摘要:俳句是日本古典文学中最具有民族特性的一种传统形式,韵味无穷,它与短歌并称为日本短诗形文学的两个潮流。松尾芭蕉是江户前期的俳人,毕生致力于俳谐。他赋予了俳谐很高的文学色彩,并且在日本人美意识中原有的“物哀”与“幽玄”之上,又创出了独特的蕉风“闲寂”和“朴素”。那么,有关芭蕉俳句的日本人美意识究竟是什么呢?这种美意识对日本人的生活产生了什么样的影响?我将在这篇论文中,从芭蕉的美学理念去研究日本人的传统美意识。

关键词:芭蕉、俳句、美意识、物哀、闲寂

 

目 次

要旨 ……………………………………………………………………………………(1)

はじめに …………………………………………………………………………… (2)

1章 「物の哀れ」…………………………………………………………… (3)

1.1  芭蕉の俳句における「物の哀れ」………………………………………(3)

1.2 「物の哀れ」と日本人の美意識……………………………………………(5)

2章 「幽玄」……………………………………………………………………(6)

2.1   「幽玄」と無常観……………………………………………………………(6)

2.2    芭蕉の俳句における「幽玄美」……………………………… ………(7)

3章 「さび」「侘び」…………………………………………………………(9)

終わりに ………………………………………………………………………………(11)

参考文献 ………………………………………………………………………………(13)

謝辞 ……………………………………………………………………………………(14)

 

 

芭蕉の俳句から見る日本人の美意識

 

はじめに

最近、江戸時代の俳人芭蕉の句集を読むようになった。5音-7音-5音合計17音という制限のほか、季語という制約を持つ俳句は、類を見ないほど、窮屈な短詩であるかのように思われるが、しかし、この窮屈さが魅力でもあるという。日本の国民詩人と言えば、松尾芭蕉の名を上げることができる。松尾芭蕉は日本の「俳聖」として尊敬されている。芭蕉の俳句は「日本の心」と見られ、日本人に愛読されている。芭蕉は大変な有名人で、中学生以上で日本語の読み書きができるならば、たぶん誰でも知っているだろう。

芭蕉の俳句はわかりづらいとぼやくのは後ろ向きの反応である。『古今集』以来800年続いていた和歌の伝統から脱出して、新しい詩歌の創造を目指したことに芭蕉の価値がある。また、俳句の鑑賞は人間の美意識と切り離せない。

 

第1章 「物の哀れ」

 

「物の哀れ」という言葉を初めて聞いたのは、第一学習社出版の『日本文学史』を読んだ時である。日本人が中国文化の影響を消化し、独自の文化、精神を作り上げたのは平安時代とされているが、この時代に支配的だった美意識、ひいては、それ以降の美意識の主流に大きな影響を与えたのが「物の哀れ」だったからである。

「物の哀れ」というのは世の中が万事無常であり、一瞬間の輝いた美である、それが日本人の美意識におけるもっとも大事な要素になった。無限定な対象を眺めることによって、触発されるある種の感動、それが「物の哀れ」であると考えられ、そこに日本人の文学の心があるのだと考える。あとになって、その認識は、心が揺らめきさえすれば、文学の芽生えになると言う、原理的な考え方にも連なってゆく。それは文学の発現を,原点に即して,素朴に、またデリケートに考えたものであると言えるが、一面から言えば、かなり無目的である。

 

第1.1節 芭蕉の俳句における「物の哀れ」

 

「もの」即ち対象客観と、「哀れ」即ち感情主観の一致するところに生ずる調和的情趣の世界を言っている美意識として、優美、繊細、沈静、感傷的理念である。別の言葉で言えば、あらゆる物事の中に、はかなさを見て、心に感動を生じる様子を言い、『源氏物語』をはじめとする文学の世界にもそれは色濃く反映されていた。例えば、憂き我をさびしがらせよ閑古鳥。初夏のホトトギスが鳴き、物寂しい雰囲気を感じる。対象を眺めることによってもたらされる哀歓が、すべて「物の哀れ」と言うことになる。

 

第1.2節 「物の哀れ」と日本人の美意識

今でも、この伝統的な美意識は続いている。日本人は自然に対する繊細な感受性を持っている。これは四季があることと大きな関係があるだろう。四季折々の景色や草木などに,その時々の季節感を感じ取りつつ,そこに思いをはせるという特質が,やがて美意識となり世界に冠たる文学世界を作った。欧米人が雑音としか感じない秋の虫の音に美を感じ,それで心を静め,やがて訪れる冬に対する秋というものに「物の哀れ」を感じてしまう。桜の花も同様である。満開になると,その頃決まって訪れる強風や雨でわずか3,4日の命である。アメリカのワシントンにある桜を見たアメリカ人達が「きれいだね」で終わるのと異なり,桜の「短命」に対するはかなさや無常観を感じつつ,美しさにため息を漏らす。こうした美意識は日本人特有の感性だ。美しいものに対して、中国の人はたぶんそれを賛美し、単純に楽しむのが普通である。

それに対して、ほとんどの日本人はそれを楽しみながら、それが長く続かないと思っているのだろう。一言で言えば、日本人の美意識には日本人がいつでも持っている無常観がある。そのため、日本人の目に映る美は、他国の人から見れば常に矛盾があるように見える。

  そのような無常観の文学の中での発展から、日本人の矛盾のある美意識をちらっと覗くことができるだろう。日本人は美しいものに対して、楽しみながら悲しみ、悲しみながら楽しんでいるのである。

さらに、日本人が美しく思ったものには必ず矛盾する美が含まれなければならないようだ。たとえば、日本人にとって満月は無論美しく思われているけれども、俳句の中でより多く歌われているのはやはり雲にすこし覆われた朧月や、雨の日に想像された月のことである。日本の人には、完璧な美しさよりは、少しだけ残念な気持ちを与える不完全な美しさのほうがより理想的な美であると考えられているのであろう。

森川恵兆が『日本美の性格』に「芸術における象徴とは、表現したい世界を表現せずに、むしろ積極的に秘める、隠すことによって帰って、表現するより以上の効果をえようとすることである。」[1]と指摘した。従って、日本人の美意識では、不完全の美を求める傾向が強い(中国は、左右相称、シンメトリーの美しさを求めているのが多い)。例えば、『徒然草』に「月はくまなきをのみ見るものかは」というようである。また、俳句という短詩形の言語芸術は、表現が不十分に見えるが、言葉で表現された部分よりも、内面に込める感情が大切だという考え方である。

従って、「自然に対する感性」をいかせば,自然は尊重したり敬ったりする対象であり,欧米人のように「人間のために征服」すべき対象にはなり得ないはずである。他の生物への「物の哀れ」の感情があれば,環境破壊などが起こりえないはずである。四季を愛している感性を大切にすれば,落ち着いた精神が自然と養われるのである。

第2章 「幽玄」

 

戦国時代が終わり、心の落ち着きを取り戻した時代に力を得た中世の人が求めた美意識に戦国乱世の終わった後の人生無常が秘めこんだ「幽玄」があった。この美意識の根底にあるのは仏教的な考えである。中世の連歌論が初めて日本人の美意識を正面から論じた。連歌論に「飛花落葉」という言葉があるが、自然の中に生きるもののはかなさをとく仏教の無常観が「幽玄」の美意識に形づくった。

第2.1節 「幽玄」と無常観

 

「幽玄」の美意識は、後世の俳句にも引き継がれていく。

例えば俳句で言う「さび」「侘び」は、いずれも寂しさの契機を含んでおり、そこにやはり無常観の影響がみられる。

日本の著名の評論家小林秀雄が『無常ということ』に自分の悟るを述べた。「先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青菜やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮かび,文の節節が、まるで古びた絵の細勁な描線を辿る様に心にしみわたった。そんな経験は、初めてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、怪しい思いがし続けた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気にかかる。もちろん、とるに足らぬある幻覚が起こったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。」[2]この美の体験は、無意識、無目的である。このように、日本人の美意識には、仏教的な思想に源を発する一つの大きな流れが、今日までずっと続いている。

第2.2節   芭蕉の俳句における「幽玄美」

次に、「幽玄」という美をよく表したといわれる俳句を挙げよう。

古池や蛙飛びこむ水の音 (春の日)

この句は俳句の代表であり、小学生でも知っている程、有名なものである、芭蕉が「おくのほそ道」に旅立つ少し前の貞享3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句である(芭蕉が「おくのほそ道」に旅立つのはその三年後の元禄2年、1689年である)。
芭蕉はうぐいすの糞で詩をつくったという。カエルも鳴き声でなく、水に飛び込む音を素材にした。「古池」は静かな谷間、あるいは静寂な庭の境地に引き寄せて、澄んだ池に向かって静まり返っていた環境に浸ったとき、蛙が水に飛びこむの声は耳に心地よくて、しんとした周りを呼び覚ましたように、すがすがしい感じになる。「古池」、「蛙」と「水の音」、これらの簡単な素材から、高い芸術の味わいを楽しんだ。

この場合の「幽玄」は、閑寂、優艶などの美意識を総合的に含んだ余情の美しさをさすとともに、対象に深く入り込む表現態度をもふくんでいるとされる。これは伝統への挑戦だった。「間」とか「余情」を大切にした。すべて言い尽くさず、言葉に表さないところで美を感じさせようとした。それまで誰もやらなかったから、当時としては、芭蕉は前衛的な詩人だった。

この句を詠んだ芭蕉43歳は深川芭蕉庵時代、すなわち芭蕉熟成期に当たるが、庵近くの同じ池を詠んだ「名月や池をめぐりて夜もすがら」も有名である。「鳴く蛙」を詠んだ俳句は多くあるが、「飛びこむ蛙」は芭蕉が押さえてしまったのある。


[1] 森川恵兆 『日本美の性格』朝倉書店 1990年9月1日 P30

[2] 小林秀雄 『無常ということ』 日栄社 昭和57年3月31日 P42

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作者: 中国论文网

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