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日本の登校拒否から考える中国教育の在り方

日本の登校拒否から考える中国教育の在り方          ― ―中学生を中心に &nbs…

日本の登校拒否から考える中国教育の在り方

         ― ―中学生を中心に

 

要旨

登校拒否とは、年間 30 日以上の長期欠席者のうち「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因と背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」を指している。

本論文では、まず、日本において60年以上も続いている義務教育制度を振り替えし、就学率は高いままであるものの欠席率が高くなったという現象を紹介する。登校拒否の原因は学校、家庭と社会の影響にあるとの結論を出した。

そして、今日、中国の子供たちが就学の圧力と激しい社会変化により、不安になりがち、学校拒否の問題が深刻化する可能性が潜んでいると推測し、日本の対策を参照し、中国教育の在り方について論述を展開した。

 

キーワード:中登校拒否  義務教育 圧力 ゆとり教育民族文化

 

 

 

 

 

 

 

目次

要旨……………………………………………………………………2

摘要……………………………………………………………………3

はじめに…………………………………………………………………4

1 登校拒否……………………………………………………………4

 1.1 登校拒否の定義…………………………………………………4

1.2 登校拒否の症状…………………………………………………5

日本で起きた登校拒否………………………………………………6

2.1日本の教育制度…………………………………………………6

2.2登校拒否と義務教育……………………………………………7

2.3 登校拒否の原因…………………………………………………7

2.3.1家庭及び友達の影響………………………………………8

2.3.2社会の影響……………………………………………………9

2.3.3学校の影響…………………………………………………10

中国教育……………………………………………………………11

3.1エリート養成指向の教育……………………………………11

3.2圧力で起こる登校拒否………………………………………12

3.3中国教育の在り方……………………………………………13

3.3.1ゆとり教育…………………………………………………13

3.3.2伝統文化を重視……………………………………………14

おわりに………………………………………………………………15

参考文献………………………………………………………………16

謝辞 ……………………………………………………………………16

 

 

 

 

 

はじめに

 現在の日本の初等教育純就学率は約100%であり、粗就学率は100% – 102%程度である。中等教育の純就学率は約99%であり、粗就学率は101% – 103%程度である[2]。これは、義務教育制度の完備と高校等進学率の高さを示すとともに、就学義務猶予免除、原級留置と、高年齢者の在学がかなり少ないこと(年齢主義が強いこと)を意味する。しかしこれは出席率が高いことは意味せず、1990年代から就学者の長期欠席が急増している。

開発途上国では先進国より就学率が低い傾向にある。また、初等教育の就学率が高くても、中等教育の就学率が低い国も多い。現在は、開発途上国の就学率を上げることが、貧困対策などの面で重要であるとされる。

発展途上国である中国は、日本とほぼ同様、義務教育を施行している。近年、貧困の問題がだんだん解決してくるとともに、登校拒否の問題が生じる。

本論文は日中教育の状況について分析し、日本の登校拒否から、中国教育のあり方を検討する。中学生を中心に研究を行う。

 

 

1.登校拒否

1.1登校拒否の定義

イギリスのI・T・ブロードウィンが登校拒否を1932年に最初に使用し、1941年にアメリカのA・M・ジョンソンが学校恐怖症と命名した。日本においては、当初1950年代「学校嫌い」や、1960年代ごろから「登校拒否」とも呼ばれ、その後、折衷的な語を選択して「不登校」と呼ばれるようになった。

文部科学省の学校基本調査(1998 年度調査以降)では、不登校を、年間 30 日以上の長期欠席者のうち「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因と背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」と定義している。

1.2登校拒否の症状

ジョンソンによって、登校拒否、即ち学校恐怖症は心気的時期、登校時のパニック時期と自閉期の三期に分類した。最初は心気的時期である。この時期においては、登校時刻に、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝惚け、疲れ、倦怠感といった症状が現れる。これが主に友人関係、いじめ、体罰、コンプレックス、学業上の不安などが原因にある。  パニック期になると、子供のストレス、不安は限界に達し、親に対し激しく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れる。しかし、心気的時期と同じく、一度学校に行ってしまうと大人しく穏やかな表情を見せる。

親が学校へ行かせるのを諦めると、子供は自分の世界に閉じこもるようになる。主にコンピューターゲームやインターネットに没頭し、暴力、暴言などの攻撃的な態度は減り、穏やかな状態になる。しかし、心の緊張感や周りに置いていかれている事から来るストレス、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることがある。この症状は数ケ月から数年単位で一進一退を繰り返す。

日本で起きた登校拒否

2.1日本の教育制度

日本において、学校制度がない時代は、一生就学しないままの例が大多数だった。学校はあっても、貴族や富裕層など、一部の人しか通えなかった。日本では、寺子屋など、欧米では日曜学校など、類似機関はあったが、現代の学校のようなタイプの施設ではなかった。

学制から始まった義務教育推進運動は、当初は授業料徴収があったためになかなか効果を上げなかったが、1990年に尋常小学校の授業料が無料になるなどした結果、1915年には、通学率が90%を越えるなど、学齢期の国民の就学が普遍化していった。

明治時代から昭和前期における義務教育の範囲は実質的に初等教育(尋常小学校から後に学校種を国民学校に改組)のみであった。1947年の学制改革により、現在まで60年以上続いている義務教育制度が施行された。これは6歳から15歳までの9年間を義務教育期間とし、課程の終了と義務教育の終了が無関係な、完全な年齢主義で運用するようにしたものである。

2.2不登校と義務教育

日本では、明治初期に学制が施行され、学齢徐々に、まったく学校に通わないの子供の方が児童の就学が望ましいこととされた。この時期から少数派となってくる。ただし、就学率は少しずつ上昇したものの、やはり貧困などにより就学できなかったり、途中で学校に通わなくなったりすることが多かった。

終戦直後も、混乱により就学できない場合があり、学籍があっても登校できないばあいが多かった。しかし、高度経済成長期以降は就学率が100%に近くなった。それ以降の日本社会では、6歳ごろに就学し、15歳から25歳ごろに学校生活を終える例が多くなっている。しかし、1990年代に入ると、就学率は高いままであるものの欠席率が高くなった。日本の文部省が発表した数字により、1951年、中学生の全生徒数が4833902人、登校拒否児童が0.17%占めたが、2003年になると、中学生が5203077人が、登校拒否児童が1.04%占めた。この問題がもっと深刻になってきた。

しかしながら、義務教育という言葉の響きから、在学者の不登校を違法なものでと考える人もまだ多いが、就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではないとされている。

2.3登校拒否の原因

登校拒否の原因は一元的なものではありませんので、家庭、社会と学校の影響を考えなければならない。

2.3.1家庭及び友達の影響

登校拒否の子供たちの多くは心理的、物理的に他人とのきょりのとり方がうまくいかない傾向が強い。これは成育過程上の様々な問題点がからみあってそうなってしまったので、一概におやの育て方が悪いなどと単純に責めるような問題ではない。ただこの面では少なくとも二つの問題が潜んでいるように見受けられす。一つは、達成欲求や承認の欲求の充足が曖昧化してきていたこと。もう一つは、母親像も父親像も曖昧なままで、自分と父母との役割、位置関係がはっきりしていなかったこと。

それらは生後ろっか月の影響もあるし、青春期の変化も含まれる。ここで主に中学時代のことを検討してみよう。青春期前期から中期にかけては急速な身体の変化に直面する。それゆえ、この時期の時は不安と緊張に耐えながら、自分の姿や身体が他者の眼からどのように感じとられているかと、強く関心を持っている。中学生が友人を通して内面を見つめ、大人から精神的自立し、自分の価値観を作り出す。登校拒否の児の場合、この階段で自分の身体の受容に失敗する例がみられる。自分の目付きに拘っている。っこれは、友達や親、兄弟など周囲の人々との安定した愛情の授受関係、信頼感の形成が深まっていなかった場合に多いようである。

身体の変化とともに、無意識のうちに、父親には父親と「おとこ」、母親には母親と「女」とを感じるようになる。登校拒否の児ではこのカゲリが非常に濃いもので、具体的に混乱行動を伴う場合が少なくないことを臨床家は知っている。

2.3.2 社会の影響

「平成15年報告」においては、不登校の背景として、近年、子供たちが「自尊感情に乏し」く、「人生目標や将来の職業にたいする夢や希望などを持たず無気力な者が増えて」おり、「学習意欲の低下や耐性がなく未成熟であるといった傾向があることや、受験競争等のストレスが不登校の増加の背景にある」といった指摘などをとり上げた。

今日のような高度かつ急速な科学技術の進歩と、経済機構に基付き、高度に組織化された複雑な変動社会の中では、人々は具体的な職業像が不明確なものになってくる。特に若い世代にとって、急速にかわっている社会において、親のように暮らすこともできなくなり、生きる方向が見えにくくのである。

登校拒否の児は、役割、知識、技能などの面と、父母の期待する学業面以外でのイデオロギーがわからないまま思春期と青春期には不安定になり、違和を感じる。

一方、彼らが、この際に科学技術優先のイデオロギーに自分のアイデンティティを手軽になじませたり、その方向での文化統合や文化のあり方に安住できるような帰属、依拠同輩集団をもったりすることもできないでいる。

2.3.3学校の影響

小、中学校とも、学校拒否となった直接のきっかけで最も多いのは、「学校生活に起因」するものの中では「友人関係をむぐる問題」(いじめ、喧嘩) であり、「不登校状態が継続している理由」としては、「不安など情緒的混乱」(登校の意思はあるが、身体の不調を訴え登校できなし、漠然とした不安を訴え登校しない等、不安を中心とした情緒的な混乱によって登校できない) や「学校生活上のえいきょう」が多くなっている。

学校教育というものはどのように「子供の個性に即して」とスローガンを掲げてみても、画一化、規格化、一般化を避けることはできないのである。この点で、登校拒否の児は、概して不幸な状況におかれている。ひとつは本当に心を開いて帰属出来る集団をもてなかったことである。もうひとつは教師との関係である。表層的には教師とうまくいっているが、内面を教師に深く理解してもらえないまま過ごしてしまった。

一言いえば、学校拒否のタイプでは、理由が複合していて、いずれが主であるか決めがたい「複合」型が増加傾向にあり、また「あそび、非行」型は、小学生では目立たないが、中学生では一定の割合を示している。社会環境が急速かつ大きく変化しているのが一因とされるが、一般的には、学校拒否の子供やその家族に要因を求めるとの考え方から、学校や社会にそれを求めるとの考え方に移ってきたととらえることができる。

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作者: 中国论文网

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