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ライフストーリーから読み解く少数民族の文化変遷

目次 はじめに………………………………………………………………………………………………………. 2 第一章 序論……………………………………………………………………………………………

目次

はじめに………………………………………………………………………………………………………. 2

第一章 序論……………………………………………………………………………………………….. 2

  1.1研究背景………………………………………………………………………………………….. 2

  1.2研究意義………………………………………………………………………………………….. 2

第二章 イ族……………………………………………………………………………………………….. 4

  2.1イ族の形成………………………………………………………………………………………. 4

  2.2概況…………………………………………………………………………………………………. 5

    2.2.1族源……………………………………………………………………………………….. 5

    2.2.2支系、分布と人口………………………………………………………………….. 5

    2.2.3言語……………………………………………………………………………………….. 6

    2.2.4服装……………………………………………………………………………………….. 6

    2.2.5建物……………………………………………………………………………………….. 6

    2.2.6飲食……………………………………………………………………………………….. 6

  2.3お祭りと歌舞…………………………………………………………………………………… 6

    2.3.1お祭り……………………………………………………………………………………. 7

    2.3.2歌と踊り………………………………………………………………………………… 8

第三章 イ族の村民の語りを聞く…………………………………………………………………. 8

  3.1「対話」による調査結果の記述……………………………………………………….. 8

第四章 

終わりに

参考文献

はじめに

 雲南省は多くの少数民族の省であり、多様な少数民族文化は民族文化の研究に天然の土壌を提供している。世界中のでさまざまな国を見渡すと、どの国も実力の強弱を問わず独自の文化を持っていた。文化は祖先が残した貴重な財産であると同時に、人々の生活に浸透して、物質的な生活を創造することを助ける。現代民族国家空間領域の中で、歴史、地理隔離などの原因により、雲南国境の紅河州の少数民族は価値観念、生活習慣、生活方式などの方面で長期が伝統的な特徴を維持して、しかし、経済発展と現代化の影響で、少数民族の社会も変えてた。その中で、ライフストーリーは少数民族の社会と文化の変遷を分析する方法の一つである。本研究はイ族社会の生活変遷に対する理解したいと考えている。

第一章 序論

1.1研究背景

 グローバル化の深化とともに、国と国の交流が盛んに行われるようになった。その中で、外来文化の輸入もよく発生しており、外来文化は中華民族文化だけでなく、少数民族文化にも影響を及ぼしている。それに、科学技術の発展とともに、交通などの基礎設備が完備されるようになった。それで、山々に隠された少数民族は外部世界に接触する機会が多くなったり、便利になったりしている。このような状況で、外来文化の影響のもとで、少数民族文化が消滅する恐れもあると考えられる。

 中国は56民族からなっており、歴史発展の過程において、少数民族は中国文化の重要な構成部分であり、非常に重要な意義と価値を持っている。少数民族の文化に対するアイデンティティも民族精神と意識に対するアイデンティティであり、各民族の団結と統一を促進することができる。だから、私たちは積極的に優秀な少数民族の伝統文化を伝承して、文化と経済、政治、教育を有効に融合して、伝統文化を保護したり伝承したりすると同時に、少数民族の発展を促進することができる。それゆえに、少数民族文化への理解を深めることを急がなければならない。しかし、近年来、外部世界との接触とともに、少数民族は生活が変遷したりしており、これらの変遷を明らかにしてこそ、少数民族文化への保護や伝承ができると思う。したがって、本研究においては、少数民族の一つのイ族に焦点を絞り、その生活変遷を考察しようとする。

1.2研究意義

少数民族文化は中華民族文化の中では重要な地位を占めており、中華民族文化の繁栄発展を実現するために、少数民族文化の発展にも力を入れなければならない。ところが、外来文化の衝突や外部世界の影響につれて、少数民族文化は消滅する危機に面するようになっている。したがって、本研究の意義は以下の通りである。まず、雲南国境の紅河州の少数民族であるイ族を中心に、その生活習慣、伝統文化などの変遷への理解を深めることができる。また、イ族への研究をきっかけに、中国におけるほかの少数民族の生活変遷の発見のなればと思う。それに、少数民族への研究の過程で、少数民族文化への理解を深めるばかりでなく、イ族を代表とする少数民族文化が面している問題も明らかにできる。さらに、これらの問題を抱えながら、少数民族文化をよりよく保護し伝承する解決案を講じることができる。

1.3先行研究

1.3.1文化変遷の研究

長い歴史の中で、人類文化が生まれや発展、繁栄、変遷などを経た。文化変遷に関する研究も盛んに行われている。安斎正人(2012)[1]は現生人類(ホモ・サピエンス)の出現以降の文化変遷について、考古学の立場から気候変動との相関性を分析したのである。近年、極地氷床コアの分析が進み、過去に起こった気候変化を広範囲かつ高精度に復元することが可能になったこと、加速器質量分析(AMS 法)による高い精度の年代測定により、考古資料との対比が可能となったことにより、人類の変遷と気候が密接に関連することが明らかとなってきた。それに対して、中国側では文化変遷に関する研究は数多くあるが、その中で少数民族イ族の文化変遷についての研究は主にイ族の祭りや伝統観念、刺繍などの焦点を絞っていた。イ族の生活の全般にわたる変遷を考察する研究はまだ少ないと言えよう。したがって、本研究においては、先行研究を踏まえながら、イ族の生活変遷を検討しようとする。

1.3.2少数民族文化の研究

前に述べたように、少数民族文化は中華民族文化においては重要な役割を果たしており、少数民族文化に関する研究も少なくない。日本側においては、その中で、張慧(2018)[2]はチャン族の文化保護の現状を踏まえ、西北部や西南部の山間部で暮らしているほかの少数民族の文化保護では、伝統文化のデーターベースを作り健全なる保護体制の確保やチャレンジをチャンスに変え、本格の文化保護の取り組み、地元と学界の連携による実務レベルでの保護策などの提案をした。また、覃溥(2013)[3]は中国「広西民族生態博物館建設1 +10プロジェクト」を対象に、中国広西の民俗文化と文化遺物保護の状況を踏まえながら、現代社会の発展過程における少数民族文化保護、伝承を担う時代の責任と義務を考察した。そして、郝時遠(2004)[4]は21世紀に入ったら、現代化が進むとともに、少数民族文化は一定の衝撃を受けたが、このような衝撃の中で各少数民族文化の保留と伝承を求めるために、少数民族文化自身の変化も必要であると指摘した。それに対して、中国側では、「知網」で少数民族文化というキーワードを検索したら、28651の件が出てきた。これらの論文の中では、イ族民族文化に関するものは842件もある。この842件の論文は主にイ族の伝統文化への考察、伝統文化の現状、伝統文化に関する観光業の開発、現代社会でイ族文化への保護と革新などという角度から研究を行った。この中で、イ族当地の人々へのインタビューを通じて生活変遷を考察するものは少なく、まだ研究する余地があると言える。したがって、本研究においては、先行研究に基づき、イ族の言語、服装、祭り、舞踊などの概況を明らかにしてから、イ族当地の住民へのインタビュー結果からその生活の変遷を検討しようとする。

1.4研究方法

 上記の目的を達成するには、筆者は紅河州の少数民族の村をめぐって、村の中で少数民族、特にイ族の村民に対して、自分の人生物語から、研究を進めていきたいと考えている。具体的に、少数民族の村民たちにインタビューを行い、日常の生活物語について、ライフストーリーの研究法で調査を行う。

生活方式の変化から民族関係を考察し、違う文明を比較し、社会変遷を述べることができる。中国は多民族の国家であり、民族は長期的な発展して形成された共同体というのは、その重要な標識は生活方式の共通である。民族融合の実質ということは、生活方式の融合である。

ライフストーリーは「話者本人」が主役の調査である。「話者主動型」の調査といえる。話者主動と言ってもインタビューは調査者と対象者のコミュニケーションであるから、対話的構築主義的なアプローチ(桜井・小林2005)を取ることになる。話す時はライフステージを考慮することが必要である。話者の語りを記述する場合は、調査者の質問と話者の答えを「そのまま」という形で書き写す。すなわち「対話方式」と記録していることである。

ライフストーリーの難点は高齢者たちに対する時、交流することは難しくて、ある高齢者はイ語が話せるだけなので、通訳が必要である。そして、時間もかなりかかる。

話者の小さい頃の生活経験など問いをはじめ、ライフステージの各段階の話を聞く。その語りを通して、少数民族のや少数民族の社会に対応していることを理解するといったやり方である。

第二章 紅河州のイ族

2.1イ族の形成

イ族の形成はこの前各支系の共同文化の基礎上で共同の族称があるから実現できた。

 唐末五代の時期に、今日雲南省のイ族先民はみんな「昆明」など古い族称を踏襲していて、頭は「烏蒙王」、「羅殿王」と称する。宋代に、各地区のイ族先民は新しい族称が出現した。例えば大涼山の「勿鄧」部落は今「邛部蛮」とも称された。南部の両林、風琶などの部落と合わせて「東蛮」と称された。小涼山には「馬湖蛮」があって、歴史上は「西爨昆明別種」、滇東北、黔西北及び「叙州蛮」などと呼ばれている。彼らの頭は「烏蛮王子」或いは「羅氏鬼主」と称する。大理国(西暦938-1940年)の統治下で、イ族先民は「大雲南蛮」、「小雲南蛮」とも呼ばれていた。その两爨地区の37個の部落は「三十七部蛮」と呼ぶ。元代の時、中国国家政治上の統一と西南地区部族の間の経済化交流の強化により、金洲江南北両岸にいるイ族先民部落たちが先に「羅羅」という統一の自称が出ていた。「羅羅」は最初ある部落の称号であり、唐代の歴史書に記載された演東北川滇境界所の「盧鹿蛮」からの称号である。元朝の時に元年、金洲江北大涼山及び安寧河流域の「落蘭」部落の勢力が強くて、よって元十二年(西暦1275年)にここで政権を建立することを決めて、「羅羅斯」を政権機構の名称をした。即ち原落蘭部の轄区を全境まで拡大した。これが歴史書に載っていた「羅羅斯宣慰使司」である。これから、「羅羅」という名は普遍的になり、羅羅宣慰司の轄区だけでなく東西両蛮地区もこの名を使う。各地のイ族は当時のいろんな自称或いは他称を持っているが、「羅羅」という統一の族名を通用する。

中国の歴史上、中原王胡の統治者は国境地帯の少数民族を差別して、書き方では「犬」の偏旁をつけた。羅羅は「玀玀」に変えた。イ族人民の反感と抵抗を引き起こした。中華人民共和国が成立された後、歴史と本民族の依願で「鼎弊」の「彝」を採用してイ族の通用族称にした。

とにかく、共同の地域、文化風俗、及び「羅羅」という共同の族称に基づき、「宋末元初」まで現代意義上の民族共同体として、イ族は正式に形成した。


[1] 安斎正人.『気候変動の考古学』[M].同志社:2012.

[2] 張慧.震災後における少数民族文化の保護 : 汶川地震後のチャン族の文化保護を中心に[J].災害復興研究 = Studies in disaster recovery and revitalization (9), 147-153, 2018-03-31.

[3] 覃溥.現代社会の発展過程における少数民族文化保護・伝承を担う時代の責任と義務 : 中国「広西民族生態博物館建設 1+10プロジェクト」の実践[J].国立民族学博物館調査報告 = Senri Ethnological Reports (109), 23-41, 2013-01-25.

[4] 郝时远.现代化过程中的少数民族文化[J].Senri ethnological reports ; SER (50), 57-62, 2004-03-29.

………………………………………………………

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作者: 中国论文网

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