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20世紀の初期、中日思想文化の異同

目  次 序章………………………………………………………………………………1 第一章  作者と作品の社会背景について…………………………………1 第1節 巴金と『家』の社会背景につ…

目  次
序章………………………………………………………………………………1

第一章  作者と作品の社会背景について…………………………………1

第1節 巴金と『家』の社会背景について………………………………1

第2節 島崎藤村と『家』の社会背景について…………………………2

第3節 作品の社会背景、封建思想や書き方などの比較………………3

第二章  中国の「家」と日本の「家」との比較…………………………4

第1節 中国の「家」と日本の「家」との比較…………………………4

第2節 中国の「分家」と日本の「分家」との比較……………………5

第三章  まとめ………………………………………………………………6

注釈………………………………………………………………………………8

参考資料…………………………………………………………………………9

 

序  章

国はたくさんの小さな家からなるもので、ひとつの国にさまざまな家があり、もし、異なる国となると、なおさらのことである。巴金の『家』と島崎藤村の『家』から中国と日本の家が見られ、本稿では、巴金の『家』と島崎藤村の『家』から見た中国と日本の思想文化の異同について考察する。
本稿は作者の書き方の違いや「家」や「分家」に対する理解、雇い人の地位などを分析し、両国の思想文化の異同を指摘したい。
本稿は作品を書く時の社会背景や伝統的な封建思想を検討することにより、両国の思想文化の異同を展望したい。
本稿は中国と日本の思想文化は深い絆を持っているが、異なるところもいっぱいあるということを解明しようとする。
巴金の『家』と島崎藤村の『家』の比較について、あまり研究がなされていなかった。そこで、本稿はこのような研究状況を踏まえて、巴金の『家』と島崎藤村の『家』から見た中国と日本の思想文化の異同を明らかにしたい。

 

第1章 作者と作品の社会背景について

本章は3節からなり、第1節は巴金と『家』の社会背景についての紹介で、第2節は島崎藤村と『家』の社会背景についての紹介で、第3節はその二つの作品の社会背景、封建思想や書き方などの比較について論じたい。

第1節 巴金と『家』の社会背景について

巴金は本名李尭棠で、1904年に四川成都のある封建官僚の家庭に生まれた。それは20人ぐらいの目上の人、30人あまりの兄弟姉妹、そして、50人ぐらいの雇い人もいた典型的な大家族である。そういう暗く、腐りきった大家族で起きた悲劇を小さいときからいろいろ聞かされた彼は封建社会でいう礼儀と道徳、また封建制度はどれほど若者の個性を抑え、どれほど若者の心身を踏みにじったかがよく分かっている。
「五・四運動」の時、人文科学的な思想を宣伝する本をいろいろ読んだ彼は「無政府主義」 に信仰を持つようになった。その時の「無政府主義」は帝国主義強権の侵略に反対し、封建思想や封建制度を否定し、個性の極端的な自由を主張する一方で、国や政府など、すべて廃除しようとも主張するから、マルクス主義との間に埋めることのできないギャップがある。巴金の初期の活動や作品はそういう「無政府主義」と深くかかわっていた。初期の巴金は主に長編小説『愛情三部作』(『霧』、『雨』、『電』)、『激流三部作』(『家』、『春』、『秋』)、『火』、『寒夜』と中篇小説『憩園』を書いた。本稿では、主に『激流三部曲』の『家』について考察したい。
『激流三部曲』は巴金の代表作で、中の『家』の影響力は一番大きかったという。この小説は五・四運動後、20世紀20年代初期の成都を背景に、四つの世代がともに暮らしている封建大家族がだんだん衰退していくことを物語り、封建的な家父長制度の罪悪を厳しく訴え、「不抵抗主義」を激しく非難し、若者の自覚と反抗を情熱的に称え、封建制度は必ず滅びて行くという宿命をはっきりと指摘した。
家長の高老太爺はもともと封建官僚で、民間から数え切れないほどの財物を収奪し、成都城内で、非常に豪華な家を築いた。しかし、後の辛亥革命は何千年の封建制度を覆し、高家第二の世代、つまり克明たちの官途を断ち切った。そのため、高家は政治上の頼りを失い、経済状況もだんだん衰えて行く破目に陥った。また、五・四運動のもたらした新思想は封建的な観念や封建専制の基礎を激しく揺るがし、封建的な大家族が必ず崩れて行くことはすでに避けられない運命になった。そして、この新時代の思想も高家第三代の若者に影響を及び、封建制度を激しく非難し、個性の徹底的な解放を強く求める人物さえ現れた。
そういう封建家庭の罪悪と迫害をあらわにし、新思想の影響下の若者の自覚、封建勢力との絶えない戦いを描き出した『家』は巴金の文学上の道標だけでなく、中国現代文学史上最も優れている現実主義的な傑作の一つであるともいえる。

第2節 島崎藤村と『家』の社会背景について

詩人、小説家の島崎藤村は、明治5年(1872)長野県に生まれ、本名は島崎春樹で、生家は馬籠宿の問屋 、庄屋 を兼ねる旧家であった。戸川秋骨ら との交遊を通じて文学に志し、明治学院を卒業してから、『文学雑誌』に翻訳を寄稿し始めた。明治25年には北村透谷らの文芸雑誌『文学界』の創刊に加わり、詩や小説を発表した。明治30年に第一詩集『若菜集』を刊行し、詩壇では大きな反響を呼び、その後、詩集『一葉舟』、『夏草』を出し、近代詩史上に大きな業績を残した。また、彼は長編小説『破戒』によって、自然主義文学の代表的な作家として認められ、それから、『春』『家』『夜明け前』など優れている小説を発表した。昭和18年(1943)彼は脳溢血のため、71歳でなくなった。
『家』は明治44年(1911)に発表された作者の自伝的な長編小説である。上巻を発表してまもなく正太とお雪のモデルである甥、高瀬慎夫と妻、冬子が明治43年(1910)につぎつぎとなくなった。それは下巻に大きな影響を与え、作者は最後の十章に正太の危篤と死去を描くことによって、この小説に終止符を打った。
この小説は小泉家(モデル島崎家)と橋本家(高瀬家)という二つの木曾 の旧家の二十年に渡る変遷を描いたものである。小泉実と橋本達雄はともに旧家の家長であるが、時代の波に抗しきれず、実権を失いつつある。家族の没落を招いたのは彼らの格式ばった権威的な生き方、旧家に伝わる遺伝とそれからくる退廃である。これに対し、両家の新しい世代、正太と三吉(藤村)は旧家に疑問を持ち、反抗もするが、自分たちが旧家のうまれであるという誇りからも逃れない。正太は傾いて行く家を盛り返そうと株に手を出すが、経済観念のなさや、父譲りの女性関係で身を滅ぼして行く。一方、三吉はお雪との夫婦理解や、経済的な自立をもととして新しい家をめざすが、度重なる兄の援助で経済的な自立ができなく、相変わらず古い家に頼り、新しい家を築くことはなかなか実現できない。その後、作家として成功した三吉は次第に一族の家長的な役割を果たすようになる。
この小説の構成は、三吉夫婦と正太夫婦を大きな柱として、その周囲に兄弟姉妹、義父、義弟など親族がからまり、一つの大きな家長制度というものを描いている。
この小説は単に藤村の傑作であるばかりでなく、日本自然主義時代の代表的な傑作の一つであるともいえる。

第3節 作品の社会背景、封建思想や書き方などの比較

作者についての紹介を見ればすぐ分かると思うが、巴金も島崎藤村も旧家に生まれたもので、どの『家』も自分の家庭をモデルにし、できた作品である。巴金の『家』は五・四運動直後の社会生活を描いているのに対し、島崎藤村の『家』は明治後半期の社会の変化を表現している。ちょうど同じごろであるとはいえないが、どっちも国が激しく揺れている時期で、新しい思想と古い観念が激しく衝突する時期であった。そして、この二つの作品は同じく大家族の没落して行く歴史をいきいきと描き出した。
もちろん、封建思想について、二つの作品の中にも書いてあるが、やはり中国の古い思想はもっと封建的ではないかとしみじみ感じている。例えば、巴金の『家』に出た家長の高老太爺は自分だけが一番偉いと思い込み、家の財産権を握り、家族のみんなの運命を支配している。彼の一言で鳴鳳 の命を葬り去り、婉 の青春を棒に振ってしまった。また、「目上の人の柩はまだ家にある時、家族の人は絶対家で出産してはいけない。そうしないと、不幸なことは起こる。不幸を避けるため、産婦を城外に移すだけでなく、橋を渡らせなければならない」というでたらめな迷信の言い方があるだけで、優しく、善良な瑞珏 は荒涼たる郊外に追われ、難産のため、死んでしまった。
しかし、日本の古い思想はそんなに封建的ではないと思う。橋本家の家長達雄は先祖代々の薬種 問屋という家業を受け継ぎ、壮年の働き盛りにあったためか、「番頭 や手代 と机を並べて、朝は八時から日の暮れるまで倦むことを知らずに働いた」だけでなく、「地方の紳士」として銀行の事業、その他「種々土地のために尽くさねばならない」地位にあったのである。けれども、「長い間かかって地盤を築き上げた先祖の事業は彼が半生の努力よりも根深かった」のであり、「彼は家附の支配人の手から、退屈な事業を受け取ってみて、初めて先祖の畏敬すべきことを知った」のである。 達雄は典型的な封建制度の支持者であるはずなのに、先祖を「畏敬」すべきものと思い直した。それから、彼は資本を投下したが、いろいろな困難にぶつかり、罪を犯したあげく、家出してしまった。
つまり、中国の家長は横暴で、封建制度を必死に守っている一方、日本の家長は封建制度の忠実的な支持者であるとはいえないと思う。そんなわけで、中国の反逆者の反抗精神は非常に目立っている。例えば、覚恵はいつも真正面から封建制度の支持者たちとぶつかる。高老太爺が病気に倒れたとき、陳姨太は「病をもたらしてきた鬼」を退治するため、「法師」を呼んできたが、覚恵だけは敢えてその「法師」を門外に拒み、それに、陳姨太や覚新たちを思い切り怒鳴った。一方、日本の家長は別に封建制度を必死に守っているわけでもないから、日本の反逆者の三吉の反抗精神はあまり目立っていないわけである。それは日本の文化と緊密な関係を持っているのではないかと思う。日本は「和」を大切にする国で、日本人はいつも真正面から他人と衝突することを避けている。だから、中国人の私から見れば、反逆者の三吉は別に反抗でもしていないのではないかと思う。
また、巴金は自分の家だけでなく、当時の社会情勢についても詳しく紹介し、五・四運動など社会の変革は旧家の没落に拍車をかけたという見方を出した。つまり、巴金の作品は社会と緊密につながっているということである。
一方、島崎藤村はただ自分の家に目を向け、社会に目を向けようともしない。『家』について語った作者自身の有名な言葉に「『家』を書いた時に、私は文章で建築でもするように、あの長い小説を作ることを心掛けた。それには屋外で起こった事を一切ぬきにして、すべてを屋内の光景にのみ限ろうとした。台所から書き、玄関から書き、庭から書きして見た。川の音の聞こえる部屋まで行って、はじめてその川のことを書いてみた。そんな風にして『家』をうち建てようとした。」 という文章があり、それは一番有力的な証拠ではないだろうか。自分のことば

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作者: 中国论文网

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